上坂部の歴史

森永製菓株式会社 塚口工場

森永製菓のホームページへ

森永製菓株式会社 塚口工場は、まず3階建鉄筋コンクリートのビスケット工場が大正10年3月に建設されました。
建設が開始されたのは大正7年で、福知山線(JR宝塚線)塚口駅付近の土地8万5000坪(27万5400平方メートル)という当時工場建設用地としてはケタ違いに広い敷地(上坂部1丁目)に「森永タウン」という構想のもと、建設されました。

塚口工場(大正13年12月頃)中央がビスケット工場

塚口工場(平成23年11月)

配送トラック配送トラック

配送トラック
創立者森永太一郎翁の銅像創立者森永太一郎翁の銅像

創立者森永太一郎翁の銅像
チョコレート原液を搬送するモノレールチョコレート原液を搬送するモノレール

チョコレート原液を搬送するモノレール

原液工場から成型工場へチョコレート原液を運ぶ搬送用のモノレール。
「キョロちゃん」のキャラクターが描かれており、行きは「エリーゼのために」、帰りは「かっこうワルツ」を奏でながら動いているそうです。

温室温室

温室

塚口工場には、研究所施設として建てられた温室があり、日本では珍しいカカオ樹が育てられています。

カカオの樹カカオの樹

カカオの樹
カカオの樹カカオの樹

カカオの樹

エンゼルマーク の 歴史

明治38年(1905年)5月10日、まず赤坂田町の店の看板用として商標登録をされました。(登録第二三三七三号)
 
「天童印」とも呼んだエンゼルマークはすぐに新聞広告にも使用され、その後すべての商品にわたってこれを登録されました。

天童印天童印

エンゼルマークを「天童印」と呼んで、粗製の類似品と見分けてもらうことを訴えた広告/明治38年
エンゼルマークエンゼルマーク

初めてエンゼルマークが登録した新聞広告。「いくら召し上がっても少しも胃病にならぬお菓子は・・・」の一文が、森永製品の品質に対する自信と責任を物語っている。/明治38年5月
エンゼルマークエンゼルマーク

現在のマークは1986年から使われている。(7代目)

エンゼルマークエンゼルマーク

進物用には色付きのエンゼルマークが使用されました。

当初のエンゼルマークのデザインは、大正、昭和と少しずつ変化し、昭和8年には両翼25枚ずつの羽を描いたものとなりました。
エンゼルの全身を描いたマークは、昭和61年に行なったCI(コーポレート・アイデンティティ)運動によって現在使われている「未来に向かってはばたくエンゼルマーク」に変更されるまで、80余年にわたって森永のシンボルとして用いられ、「森永といえばエンゼル」「エンゼルといえば森永」と海外にまで森永の名を浸透させ、親しまれる大きな原動力となりました。


納涼祭

秋季例大祭 in 森永製菓株式会社 塚口工場

上坂部の秋のお祭り、秋季例大祭の時には、だんじり&おみこしが塚口工場内に入ります。


塚口工場で作られているお菓子

塚口工場では皆さんお馴染みの「ハイチュウ」や「MARIE(マリー)」などが作られていました。(平成23年)
 

マリー

ムーンライト

12粒ハイチュウ<ストロベリー>

12粒ハイチュウ<グレープ>

12粒ハイチュウ<グリーンアップル>

94gハイチュウアソート

カレ・ド・ショコラ<フレンチミルク>

カレ・ド・ショコラ<マダガスカルホワイト>

塚口工場ではこの他にもいろいろなお菓子が作られていました。


塚口工場の歴史
塚口研究所塚口研究所

塚口研究所

温室温室

温室

カカオの実カカオの実

カカオの実

工場内南東には池が有りました。

当時の浴室棟(県道から撮影したもの)

塚口工場の航空写真塚口工場の航空写真

塚口工場の航空写真

工場正門工場正門

工場正門

食堂前広場食堂前広場

食堂前広場

煙突更新時、新旧煙突が並ぶ煙突更新時、新旧煙突が並ぶ

煙突更新時、新旧煙突が並ぶ

塚口工場所有のマイクロバス塚口工場所有のマイクロバス

塚口工場所有のマイクロバス

上坂部陸橋工事前の正門上坂部陸橋工事前の正門

上坂部陸橋工事前の正門

新自動立体倉庫新自動立体倉庫

新自動立体倉庫

震災による兵庫県条例の改訂に伴い、煙突のネオンが撤去されました。

煙突からネオンが撤去される煙突からネオンが撤去される

煙突からネオンが撤去される

撤去されたネオン撤去されたネオン

撤去されたネオン

戻る戻る