上坂部(かみさかべ)の名前のゆらい
言いつたえによると3つある?!
①天皇家の子孫が住んでいた説
『天皇家の子孫と名のる坂合部連(サカアヒムラジまたはサカヒムラジ)が住んでいたところから名づけられた説』
坂合部連は、孝元天皇(第8代)の皇子といわれる大彦命(オオビコノミコト)の子孫と名のっていたようです。
となりまちの下坂部、久々知と合わせて『坂部』と呼ばれていたようです。
この『坂部』は南北朝時代から史料に出てくる地名です。
下坂部にある伊居太神社(イコタジンジャ)では坂合部連の祖神、「坂合部大彦命」が祭られています。
上坂部の史料上の初見は1617年(元和3)「摂津一国高御改帳」(『尼崎市史』第5巻)
②土地測量に詳しい住人がいた説
『土地の境界や測量などをする高等技術者が住んでいた所から堺部、境部、坂部となった説』
この説にも坂合部連は出てきます。
上坂部・下坂部・久々知は古代においては坂合部の居住地であったと思われます。
坂合部は「新撰姓氏録」摂津国皇別に大彦命の後裔氏族としてみえ、同祖の氏族に「久々知」を載せているので、隣接した所を居住地としていたようです。
坂合部は「新撰姓氏録」に「允恭天皇の御代、国境の標を造立し、因って姓を坂合部連と賜う」とあり、境界を定める技術をもった職業部とされます。
③神酒の醸造者が住んでいた説
『神に献上する神酒を醸造する一族が住んでいたので、酒部、坂部となった説』
「坂部」という地名は中世に「酒部」と書いたものがあり、『摂津志』も上坂部を注して「坂は一に酒に作る」とあることから、「酒部」の居住地とする説。